街角の日蓮たち

ある日、大して親しくもない人、或は面識すらない人から電話が掛って来たとする。多少面識があれば「食事でも」と、面識がなければ「話がある」と、そんな風に相手は話を切出すだろう。面識がなければ当然、たとえ面識があったとしても、のこのこ出掛けて行ってはいけない。眉に唾を付けた方が身の為というものである。

奇襲

一昨年(2001年)の9月頃だったろうか、同じサークルのリトルテンプル氏(凄い仮名だ)から電話が掛って来た。何でも、一緒に食事をしようとのことだった。しかし、リトルテンプル氏とは特別親しい訳ではないし、何故急に食事に誘われたのか分らなかった。兎に角その時は断ったのだが、食事の誘いはそれ以後も何回かあった。そして10月のある日、またもリトルテンプル氏から電話があった。流石にこれ以上断り続ける訳にはいかなかったし、食事ではなく話をしたいとのことだったので、大学の近くのコンビニで会うことになった。

コンビニへ行った。思えばこれが最初の間違いだった。リトルテンプル氏が来て、話とやらが始まった。テンプル氏は、経済の話をし出した。日本経済が沈没して円が暴落する、だから米ドルに替えておいた方が良い、そういう話だった。続いて、人民解放軍が日本に攻めてくる話や、東海大地震が起こる話などをされた。心配してくれるのは有難いが、どうして私にこんな話をするのか、正直分らなかった。次の言葉を聞くまでは。

「変に思うかも知れないけど、助かる方法がある」。そう言うと少し間を置き、「それは宗教なんだよ」とリトルテンプル氏は続けた。宗教! 成る程、宗教の勧誘だったのか。まあ、宣伝・勧誘の類はどこの企業でもやっていることである。だが、その熱心さとしつこさに於て、このリトルテンプル氏は違った。

その宗教は日蓮宗の一派らしいのだが(「そうはイカンザキ」ではない)、テンプル氏は日蓮の素晴らしさ、その宗教の素晴らしさを説いた。その宗教に入れば国難は去り、幸福が訪れ云々。曰く、「この宗教の悪い点は、唯一、熱心過ぎるところだけだ」。逆に、入信しなければ、先述のような国難が訪れ、兎に角悲惨なことになるそうだ[日蓮1260]。死んだ後は、無間地獄で永遠に苦しみ続けるのだとか。

そのような話が一時間以上も続いた。挙句、駅の近くにある本部にまで連れて行かれそうになったが、やっとの思いで断り、どうにか逃げ帰った。しかし、これだけでは終らなかった。これは単なる序曲に過ぎなかったのである。

応戦

リトルテンプル氏に勧誘を受けたのは、何も私だけではない。うちのサークルの部員は殆ど勧誘されていたし、他のサークルの部員なども、片っ端から勧誘していたようだ。そういうことをしていれば、当然、大学当局にも話が伝わる。今回の場合は、学生による告発で事が明るみに出た。うちの大学は、以前は革マル派の全国拠点だったこともあり、政治や宗教に関しては比較的厳しい。リトルテンプル氏は厳重注意処分となり、氏の両親の元へも勧告書の類が送付されたらしい。

しかし、リトルテンプル氏は懲りない。当局からの注意に対して、「信教の自由」を楯に抵抗したらしい。こういう時だけ「信教の自由」を持出すのには辟易するが、大学レベルでの問題となったために、リトルテンプル氏にサークルを辞めさせる大義名分は立った。サークル内には、テンプル氏に味方する者など誰も居ない。またテンプル氏自身も、勧誘活動に専念する為、辞める機会を窺っていたようである。かくして、ごたごたも無く、リトルテンプル氏はサークルを去ったのであった。

苦戦

リトルテンプル氏がサークルを辞めて暫くの後、再び私の携帯電話が鳴った。相手は勿論テンプル氏。恐る恐る電話に出ると、テンプル氏はパソコンの修理を私に依頼して来た。氏のパソコンは、うちのサークルの某大御所先輩から買ったものである。壊れた時はしっかりサポートするという契約だったらしいが、端からその気はなかったようで、「俺は忙しくて時間が空けられないから、えぬざわに頼んでくれ」とテンプル氏にのたまったらしい。

冗談ではない、冗談ではないのだが、仕方がない。テンプル氏宅へパソコンの修理に出向いた。修理などものの数十分程度だろうから、パッと行ってパッと終らせれば良い。そう思ったのが間違いだった。実際にやってみると、これがなかなか上手くいかない。どうもハードディスクが故障しているらしい。その日の作業は中断、また後日リトルテンプル邸へ行く羽目になった。この二回目に関しては、運良くと言うか何と言うか、記録が残っている。2002年5月下旬のことである。

今日はリトルテンプル宅でサポート。マーシーも同行してくれた。

HDDがお亡くなりになっていることが分かっていたので、ヤマダ電機へ。15,000円でSeagate製のHDD(60GB)を購入。ちなみに、亡くなったのはWestern Digital製。向こうで昼食をとってからリトルテンプル宅へ帰投。ここでマーシーが離脱。HDDを交換。Windows 98のインストールに取り掛かる。が、プロダクトキーがなくて先へ進めない。どういうこっちゃい。

ご覧の通りプロダクトキーが分らず、その日もそこで中断となった。話が再開されるのは、それから二週間ばかり後となる。

蹂躙

大御所氏からプロダクトキーも訊出し、三度目のテンプル邸に赴く。Windowsをインストールし、テレビチューナを始めとするデバイスの設定を行い、さらに必要なアプリケーションを入れる。こう書くとものの一行だが、なかなか骨の折れる仕事である。特に、作業の傍らリトルテンプル氏の説法を聴かされるので、精神的な負荷が大きい。だが、それも今日で最後だ。ただそれだけを支えに、私は作業を続けた。

そして、作業は終った。これで解放される。Windowsは問題なく動いているし、テレビもしっかり入る。文句はあるまい。しかし、テンプル氏は帰してくれなかった。「お礼に夕飯奢るよ」。奢らなくていい、奢らなくていいのだが、疲れによる思考力の低下と「これで最後」という油断が、私に判断を誤らせた。

テンプル氏の車でどこぞのラーメン屋へと向かう。そこは駅から少し離れた場所だった。ラーメンの美味い不味いはよく覚えていないが、味の濃いスープだったことは記憶している。今になって思えば、この時点で既に私はテンプル氏の術中に陥っていた。このラーメン屋に来たことは、布石の一つだったのだろう。

食べ終って店を出ると、テンプル氏はコンビニに寄りたいと言出した。これも布石なのだが、その時の私はそんなこととは夢にも思わない。車で一分ほどのところにあるコンビニに寄る。買物をするテンプル氏。この段階ではまだ何も起らない。しかし、いざ帰ろうという時に、リトルテンプル氏が口を開いた。

「本部がすぐ近くなんだけど、寄って行かない」

そういう事か。恐らく、テンプル氏は最初からこれを狙っていたのだろう。少なくとも、あのラーメン屋を選んだのは、こういう事態を狙ったからに違いない。ここで頷けば、彼の思う壺だ。だが、私が乗って来たのは彼の車。主導権はテンプル氏が握っている。そこへテンプル氏が追討ちをかける。「ちょっと見るだけだから。20分くらいしか掛らないし。もしもの時の為に、勤行のやり方だけでも覚えて行きなよ」。危ない、絶対に危ない。しかし、ほんのちょっとの辛抱で、しつこかった勧誘から解放される。

私はまたも判断を誤った。

敗戦

驚いたことに、本部はコンビニの目の前にあった。本部のビルに入り、二階に上る。細かい間取りまでは覚えていないが、休息室のようなところに通された。ここで、テンプル氏がまた口を開く。「どこの誰かも判らない奴を御本尊様に会わせる訳にはいかないから、名前と住所だけ教えてくれ」。馬鹿な。だが、私は応じてしまった。

紙切れに氏名と住所を書いて渡すと、テンプル氏も自分の氏名と住所を私に渡した。ディスクロージャということらしいが、そんな物が意味を成す筈もない。それより、問題なのはテンプル氏が私の氏名と住所を別紙に書き写していることだ。最初は単なる書類上の手続きだと思ったが、それが入信届だということが、この後判明する。

次に、数珠を買うことになった。嫌ならテンプル氏が払ってくれると言ったが、後腐れがないようにと自分で払った。値段は五百円で、プラスチック製の数珠と手帳サイズの『勤行要典』(妙法蓮華經が書かれている)を受取った。そして、数珠の掛け方や勤行の手順についての簡単な説明を受け、いよいよ「実地体験」となった。

畳敷きの部屋へ通されると、十人ほどの信者が勤行をしており、仏教独特の雰囲気が感じられた。丁度勤行は終るところで、私とテンプル氏は一番前に座った。勤行は直ぐに終り、数分の休息の後、再び開始された。先程本尊のところで読経していた幹部と思しき女性が戻って来て、こちら側に向直った。

「これから、えぬざわさんの入信勤行を始めます」

謀られた! 私は入信するなどとは一言も口にしていないし、リトルテンプル氏も入信することになるなどとは話していない。しかし、これから開始される勤行は、私が入信する為のものだという。リトルテンプル氏が私の氏名と住所を写していたあの紙こそ、入信届だったのだ。後で知ったのだが、この団体では入信に印鑑も署名も必要ないそうである。入信者の氏名と住所さえ判ればよく、別の人間が書いた書類でも、受理されるのだ。汚い遣り口である。

復興

入信勤行は、確かにテンプル氏の言った通り、20分程度で終った。その後、お布施を要求されたとか、勧誘活動を強制されたとか、そういう被害には遭っていない。書類上、入信したことになってしまっただけである。後は、未だにリトルテンプル氏からパソコンの修理依頼が舞込むのだが、もう受付けないことにしている。こうも頻繁にパソコンが壊れるようでは、テンプル氏は余程「功徳」に恵まれていないのだろう。或は、功徳でパソコンは動かないということか。

今回の件に関して、「それはお前が馬鹿なだけだろ」と言われたら、私はそれを認めざるを得ない。だが、この宗教の勧誘が熾烈であり、遣り口が汚いのも、また事実である。さらに、第三者がもたらした切っ掛けによって、私のように泥沼に陥ってしまうということもある。皆さんもよくよく気を付けられたい。

信仰するのは、W3Cだけで充分である。笑い。

追記:2005年1月11日

最近ではリトルテンプル氏からパソコンの修理依頼が来ることも無くなったが、先日、テンプル氏から電話があった。テンプル氏の番号を携帯電話のメモリ登録から削除してしまっており、テンプル氏とは判らないまま迂闊にも電話に出てしまったのだが、案の定、用件は勧誘だった。彼は以前「2005年頃に中国が日本に攻めて来る」と言っていたと記憶していたが、その事について尋ねてみたところ、「2005年とは言っていない。中国が攻めて来るのは2012年頃だ」とのことである。私の記憶違いだろうか。2008年の北京五輪を待たずして中国が「行動」に打って出るという見方もあるようだが、果たしてどうなるのか。

テンプル氏の勧誘はきっぱりと断ったが、彼の勢力は学内にずいぶん浸透しているようである。2001年にテンプル氏に勧誘された以外にも、別の二名から勧誘された事もあった。この二名はテンプル氏によって取込まれた人間である。その他にも学内には最低数名はいるという話も聞いた。勧誘活動も活発なようだ。全国的に見てもかなり勢いを付けているらしく、この団体の新聞広告や雑誌広告などもしばしば見掛ける。実体を反映していない数字だとしても、信者数が100万を突破したともいう。

宗教に限った話ではないが、勧誘とは非常に言葉巧みなものである。日頃からキャッチセールスに捕まり易い人、良く分らないうちにどこかの企業のブロードバンドサービスに加入してしまったような人、すなわち「断れない人」は本当に気を付けた方が良い。全て納得した上で入信するというのなら、私にそれを止める力も権利も無いが、兎に角「はい」と返事をする前にもう一度じっくり考えてみる事をお奨めしたい。

参照文献

[日蓮1260]
日蓮『立正安國論』(1260)

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